感覚的には確かなもの、ハッキリとしたものであっても、肉欲はそれ自体ではかならず幻滅や湿りけや悲哀を伴うとしたならば、それはなにに対する幻滅であり、悲哀であるのかをぼく等は考えなくてはなりません。

処女と童貞と

本表紙

処女と童貞・生の刺激とは一体、何なのか?

ピンクバラ彼等があなたたち女性のうちに本能的にせよ、意識的にせよ、捉えようとしているこの生の刺激とは一体、何なのか?

 時として、ぼくは東京の街によくあるホテルの前を通り過ぎることがあります。二人の男女があるいは傲然と、あるいは人眼をさけるようにそのホテルの入り口から出てくるのを見ることがあります。

 ぼくはそんな時の青年の心情をひそかに計ってみるのです彼は征服感の悦びら浸かっているのか、愛する女の全てを所有したという満足感に充たされているのか。だが、肉欲というものはそれ自体では常に悲しいものであります。
 

肉欲には幻滅や湿りけや悲哀を伴う

感覚的には確かなもの、ハッキリとしたものであっても、肉欲はそれ自体ではかならず幻滅や湿りけや悲哀を伴うとしたならば、それはなにに対する幻滅であり、悲哀であるのかをぼく等は考えなくてはなりません。ここに戦後の肉体文学者たちが考え忘れた大きな過ちがあります。

 いかなる男にせよ、貴方たち若い娘の姿を見た時、ある憧れにも似たものを感じなかった年齢があったでしょうか。

 貴方たちが別の形で青年に夢を託すように、青年たちもまた、貴方たちの微笑みや、あかるい笑い声をまぶしいもののように受け止めます。
 彼等は「乙女」という言葉からなにか自分たちがまだ、まないあかるい木陰を、幸福を予想します。

ある苦しさ、恥しさを自分の肉体に感ずる

 彼等はその時自分の肉体のことを考えます。彼等は何時も自分の肉体に、あるコンプレックスを持っているのです。
 なにか妙なもの、制御できぬ不安定なものをそこに感じているのです。どうにもならぬ暗い衝動がこの肉体のために起こるということも知っています。

 その時、青年たちは、貴方たちの明るい笑い声や微笑みに接しただけで、ある苦しさ、恥しさを自分の肉体に感ずるものなのです。

 雨に降りこめられた平地にたって、そこだけ、まぶしい碧色の山をみるように、青年たちは、貴方たちの中に自分の持つことのできなかった清純なもの、きよらかなものを探そうとするものです。

女性を蔑視する性格

 シニックな傾向や女性を蔑視する性格をもった青年たちがあります。だが彼等だって本当はそういう願いをもっているのです。
精神分析学者たちは、こういう歪められた意識の背後に、彼等が幼年時代、何らかの形で女性に裏切られた経験がかくされていることを指摘しています。

 その論旨の是非はここではどうでもよろしい。大切なことは彼等が何かの形で、その昔、女性から幻滅を味わされたとするならば、その幻滅とは先にも申しましたように、ある期待や理想が存在しなかったなら生じなかったものでありましょう。

 青年たちのこのひそかな期待は貴方たちを通して、もっと遙かなものに拡がっています。それはある若者には幸福への期待感であるかもしれない。別の若者にはなにか清浄なものへの憧れかもしれない。

 また他の若者には未知のものへの好奇心とも言えましょう。だがそれが何であるにせよ、一言でいえば生への期待であり、それを刺激し、その扉を開くのが貴方たち女性なのであります。

 だが、ここで問題を、貴方たちの肉体的な純潔というのが、この青年の期待の上に、どういう影響を及ぼすかに限定して考えてみましょう。

女性が処女であることを願っています

 青年たちは本能的には自分の女性が処女であることを願っています。ぼくは今、本能的という言葉を使いました。
 それは――皆さまも御存知のように――恋人がたとえ処女でなくても、彼女を愛する者は、愛情をもつことができるからです。
 けれども、その場合の愛情とは本能的というよりは、もっと人間として成長したものが働いています。

 たとえば相手の肉体よりも精神の処女性を大切に見る眼を男が持っている場合です。

 だが、本能的には、どの青年だって自分の女性が肉体的にも処女であることを願っている。

 それは肉体的な処女というものが純白な、汚れのない、新鮮なイメージを彼等に与えるからでしょう。

 そのイメージは彼等の生の期待をより刺激し、より悦ばしくするものなのです。処女という影像は青年たちにある未知なもの、未来に向かったものを予感させます。

 だが処女でないという影像は過去のもの、既に新鮮さを失ったものを本能的に想起させるのです。

 青年は――男性である以上、自分の前に拡がった未来を埋めようと思っています。彼は過去より未来を選びます。のみならず、先ほど書きましたように、彼は自身の肉体のくるしみから、そうした苦悩や歪みの嵐がまだ痕をとどめていない純白な肉体に憧れをもつものです。

 その汚れのない肉体を通じて、彼は新鮮な未知の未来に期待をかけることができるからです。

 ぼくは男性ですから、今までの男性の側から見た異性の肉体的純潔について書きました。だが、今、立場をひるがえして、女性の側から男性の純潔をみた場合もほぼ同じことがいえるのではないかと存じます。

 若い女性は本能的に愛する男が童貞であることを願っています。女性は生理的にも肉体的にも男性よりも純潔への憧れが鋭敏ですし、のみならず、彼女は男性とちがって肉欲というものを自動的に生むことはできません。

 女性が性の欲望を感ずるためには年齢的な成熟だけでは足りません。彼女は愛する異性に対してしか肉欲を感じないのです。
だが男性はだれから教えられなくとも、また愛する女性の有る無しにかかわらず、この暗い衝動に目覚めさせられるのです。

肉欲とは、湿ったもの、暗い破壊的なもの

 貴方たちは、若い男性が娼家などで、なぜ行きずりの女を抱けるのか、不思議に思われるでしょう。けれども男性の場合はそれができるのです。

 この生理的なちがいは、貴方がたも、もっと知っていてよいことではないかと存じます。貴方たちには精神的な愛情が伴わなければ、心から肉体的欲望を感じない。

そして、少なくとも貴方たちが娘時代にある限りは、多少ともこの肉欲とは、湿ったもの、暗い破壊的なもの、精神的な愛情を破壊する賤(いや)しい醜いものという感覚をおもちでしょう。

 だが、皆さまはこのことを覚えておいてよろしい。それは貴方たちの純潔への欲望は、貴方たちの精神的な努力や強い意志によるというよりは、むしろ生理的なものに非常に支えられているということです。

 青年たちとちがって、肉体の衝動に目覚めることの遅い、また、彼等のようにこの衝動と闘う必要のない貴方たちが、純潔をまもることは肉体的にそれほどむつかしくないのです。

 ですから貴方たちがそれを楯にとって、青年たちを裁くことは容易(やさ)しいのです。貴方たちにハンディキャプがあることだけは知っておかれた方がよろしい。

 このように本来、純潔に鋭敏な貴方たち女性は愛する青年が童貞であることを願っています。童貞であるということはギリシャの青年像のような、なにか若々しいもの、新鮮な力強さを貴方たちに想起させます。

 こうした所から、美しい恋愛と言うものは、普通、そうした純潔主義の上にイメージが組み立てられるようにできています。美しい恋愛を描いた小説のどれでも取り上げてごらんなさい。『谷間の百合』にしろ『せまき門』にしろ『ピエールとヴィルジニィ』にしろ・・・・。

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 つづく 純潔主義の危険